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[20] 台湾ポ討に覚える「不穏さ」*

投稿者: pH 計測科学ラボラトリー 垣内 隆  投稿日:2019年 9月 4日(水)14時00分47秒 tatsumi.shinshu-u.ac.jp  通報   返信・引用   編集済

今年(2019年)の第65回ポーラログラフィーおよび電気分析化学討論会は、台湾で開催される。私は、今回のポ討には参加しないことにした。討論主題とその説明文に強い違和感を覚えたからである。
討論主題は「アジアへ拡がる電気分析化学の真髄 ・・・ 副題:みんな仲ようしようや!」である。討論主題に応じて参加するかどうかを決める人はそう多くないと思われるので、この主題のことは、後で論じるとして、まず説明文について述べる。
ポ討を国外でやるのは、今回が初めてである。また、今回は「The International Joint Meeting of the Polarographic Society of Japan (PSJ) and National Taiwan University (NTU)」ということでもあるので、発表言語は「基本的に英語」、要旨も「英語」とされている。この様式にたじろぐ人もいるだろうという配慮からか、討論主題の説明文には、「1895 年から1945 年までは日本が統治していた」、「日本に親しみを感じる方も多く、日本語が通じる店舗、ホテル等も多い」、など当地の親日的雰囲気が述べられ、また、「会場となる知武館の高坂講義室および記念室は日本人科学者・高坂知武教授に由来する」など日本との縁が紹介されている。
しかし、これは、何?というのが違和感の第一の理由である。まず、この文章は、誰に対して書かれているのか?明らかに、日本人だけに対して書かれていると見る。今回のポ討が国際会議であるのなら、討論主題の説明文には、英文さらには中文もあってしかるべきである。しかし、ポーラログラフ学会ホームページの該当箇所にそれらは見当たらない。日本人以外の参加者を期待ないしは歓迎するのであれば、親日を語るのは意味をなさないのはもちろんである。
さらに問題なのは、書き手の目線である。50年にわたる植民地支配を「統治」という用語で済ませる不遜な態度を読み過ごすわけにはいかない。許せない、と思った。歴史を意識することなく無意識にそう書いたのであれば、その幼児的認識が自然・無意識に露呈して咎められない昨今の現代日本社会の怖さを思わずにはいられない。この討論主題説明文を英訳したとして、それを読んで参加したいと思う台湾あるいはそれ以外の外国の人がどれほどいるのだろうか。
「統治」という表現は言葉の綾、というかも知れない。では、次の場合を想定してはどうか。ポ討「島シリーズ」の一環として、済州島でのポ討開催は魅力である。台湾の場合とは期間は異なるもののかつては日本が朝鮮を「統治」していた。「日本語が通じる店舗、ホテル等」も少なからずあるので、討論主題の説明文には、今回と同じ文章も流用できそうである。しかし、この目線からの済州島ポ討は、たとえ開催は出来たとしても国際会議として格好が付くとは到底思えない。もし、「親日の台湾で行われる今回のポ討とは違うから」と思う人がいるとしたら、その人は、心の中に安っぽいのみならず空恐ろしい二重基準を抱いてしまっている。無論、これは科学的営みにおいては、あってはならない。
今回のポ討主題の説明文には、討論主題「アジアへ拡がる電気分析化学の真髄」の意味するところは何も書かれていない。これまた、あり得ない不思議さである。電気分析化学そのものは、アジアへ拡がって久しい。中国、韓国、台湾、シンガポール、ベトナム、インドネシア、マレーシア等々から出される学術論文の数は、いまや相当なものである。日本発の論文数を圧倒していることは間違いない。この事情とは区別される、今とりわけ拡がっている、あるいは広げねばならない真髄というものがあるのであれば、それは何だという好奇心は大いにそそられるのであるが。
副題の「みんな仲ようしようや!」は、主題に謳われる「真髄」が何かを知る手がかりにはならない。「仲ようしようや!」という呼びかけは、仲良くない、あるいは仲良しの程度が十分ではないという認識があってのことであるはずだが、それが具体的にいかなるものであるかは、これまた明示されていない。
そもそも、「仲ようしようや!」というのは、学会・討論会のあり方としては、ピント外れも甚だしい。学会は、仲良しクラブではないことは言うまでもない[1]。それが年会として主催する討論会は、自らの意見、発見、知見を示して議論を戦わせる場である。批判は科学の前提である。その結果として、友達ができるかもしれないが、友達を失うことも大いにあり得る。かつてポ討で、ある先生の発表に対して、「初めからそういう研究はおやりにならない方が良かったのでは」というコメントがあって、驚愕しつつも感銘を受けたことを思い出す[1]。
それだけでなく、上記の歴史認識の下では、「みんな仲ようしようや!」という呼びかけは、過去の詳細かつ包括的な歴史的事実の確定とそれに基づく政策の実施を意図的系統的に回避ないしは放棄しておきながら、その一方で「仲よう」しないのは相手側に責任がある、と非難する現在の日本政府の傲岸不遜・のっぺりとした鉄面皮さと共鳴するとさえ思えるのである。この「不穏な」胸騒ぎがたんなる一老人の杞憂であるとも言いれないのが、今の時勢であるとみるのだが、どうであろうか。

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* 本稿については、その原型を示してReview of Polarographyに掲載していただけるかどうかを、8月30日に同誌編集委員長の前田耕治先生にメールで伺った。「本会の研究振興のあり方に対する提言でありますので、掲載は可能であると思います。他の編集委員に了解を得たいと思いますので、しばらくお待ちください。」との連絡を同日、いただいた。9月1日にポ学会会長大堺利行先生から電話があり、意見を交換した後に、ポ誌掲載ではなく、ポ学会ホームページの掲示板に投稿することとなった。

参考文献
1.垣内隆,”電気分析化学の村”,Review of Polarography, .57, 91-91 (2011).


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